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2012.12/18(Tue)

会津藩圓城寺家 

        
        長編歴史小説「冬の櫻」上・下
12/18(火) 
 9月始め北会津の圓城寺という寺に行きましたが、調べているときに、春吉省吾の書いた「冬の櫻」上・下の主人公に圓城寺彦九郎という会津藩の保科正之に仕えた弓術の名手の長編小説が目にとまる。さっそくアマゾンで取寄せ通読する。
 私にはなぜ会津に圓城寺姓があるのかが興味でありました。彦九郎の父、圓城寺甚九郎吉武は肥前松倉藩江戸詰藩士である。ではなぜ肥前松倉藩に圓城寺姓があるのか。脈絡、系図ははっきりしませんが鎌倉時代、千葉氏の家臣に三井寺(園城寺)で修業し圓城寺という姓をもらいうける系列があり、佐倉市に圓城寺という寺跡がある。
 鎌倉幕府を推す千葉氏は元寇の役のとき、九州へ下向、その中には圓城寺姓いる。千葉に戻らず九州に残った一族と言われ肥前にもその名が残っている。
 確かな系列があるか確証は残らないが会津藩圓城寺まで四百年の時の流れがある。圓城寺つながりで興味のあるとこです。私の圓城寺も千葉氏一族の係争で武蔵の国へきたという圓城寺姓がいたようだ。
 分からないところが興味をそそられる。彦九郎が埋葬されているという会津の天寧寺に行ってみたいものです。
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EDIT  |  17:37 |  圓城寺  | TB(0)  | CM(1) | Top↑

●円城寺氏について

こんにちは。
筑前糸島原田家有縁のものです。
私も天寧寺の原田克吉(白虎隊の生き残り・伊織)家墓地を調査の途中に円城寺氏の墓を見かけ疑問に思いました。
原田家最後の当主・原田信種は龍造寺隆信の養女を妻としています。
秀吉による九州征伐後一族は離散しましたが、原田家と龍造寺家の縁は続いていました。
信種の子・嘉種は島原・天草の乱で活躍し、大名となって間もない会津保科家の家臣に取り立てられました。
その際に原田家でなく龍造寺氏や江上氏など有縁の人々もたくさん仕官してきた様です。
会津市内中心にある興徳寺には、原田家と龍造寺家の墓がすぐ近くにあります。
龍造寺四天王の一人、円城寺氏もその際に会津へ来たのではないかと想像しています。
菊千代 | 2012.12.31(月) 12:34 | URL | コメント編集

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